「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


ちゃぷ…


布団を被り、荒い息でうなされる少女の額に、少年は水で冷やしたタオルを乗せた。

「う…はあ」
「…早く良くなれよ、鈴…らしくないぞ」

少女−鈴に、囁きかけるように、陸丸は言った。
タオルをどけ、鈴の額に手を当てる。
はあ、と軽く息を吐きつつ、タオルを氷水入りの桶に浸す。
今頃、志狼たちは闇の武祭で戦っている頃だろう。
多少、心配になるが、彼らの実力なら間違いなく勝ち進めるはずだ。
それよりも、問題は鈴のほうだった。
朝錬の途中、高熱を発したかと思うと、突然倒れてしまったのだ。
志狼たちが出発したその後まで、ただの風邪だと思っていた。
が、看病をしているうちに、コレはただの風邪ではない、と陸丸は思うようになっていた。
タオルを一瞥し、その変化を見ると、額からタオルを取り上げる。

(やっぱり…凍ってる)

手にしたタオルは、鈴の額の形を模ったまま、固まっている。
このように、鈴は先程から高温が続いたかと思うと、突然体が冷気に包まれる、という謎の現象を起こしているのだった。
早くリィスに診てもらいたいところだが、生憎と、出掛け先から帰宅するのはもう少し掛かる、とのこと。

「どうすればいいのか、分からないんだもんな…」

またも、鈴の額が熱を発し始める。陸丸はまた軽く息を吐くと、桶でタオルを濡らし、額にそれをかける。
今はそれくらいしか出来なかった。
ふと桶に目線を落とすと、氷が溶けていた。

(取り替えてくるか)

鈴を一瞥すると、陸丸は桶を持って部屋を出た。


こちらへ来なさい…


「…?」

うなされていた鈴が、うっすらと目を開いた。

(何…今の声)

頭の中に、直接声が響いたような、そんな感じだ。


こちらへ来なさい…


まただ。
先程と同じ声が頭の中で響く。

(うるさいわね…!ただでさえ頭が痛いのに…!)


こちらへ来なさい…


(行けば良いんでしょ、行けば!分かったからもう喋らないで!!)

不思議と、この声の発信源を特定できる。
恐らくは、声の主がそうしているのだろうが。
鈴は上体を起こし、フラフラと歩き始めた。
玄関で靴を履き、門をくぐる。声のした場所は、御剣家を道路で挟んで反対側。
深い森の中だった。
寒気と高熱に耐えながら、鈴は森の中を歩き続けた。
木から木へと、体重を預けつつ、ゆっくりと進む。
そして、恐らくは声の発信源だと思われる場所へたどり着いた。

「望み通り、来てやったわよ…!さっさと用件を言いなさい…!!」

叫んだつもりだったが、口から出た言葉はあまりに小さかった。
自分でも驚くほど、小さな声。

(これで、罠か何かだったら、どうしよう)

頭がぼうっとしていたから、罠、という可能性を考えずにここまで来てしまった。
ここまで弱っているのに、戦う事態になったら、どうしようもない。

「!!」

どうやら、その最悪の事態に陥ってしまったらしい。
近くでマイトが収束されていくのを感じる。


ドゥン!!


直後、火球が鈴の足元で炸裂した。

「きゃあ!」

続いて、いくつもの力の収束を感じた。
火球が次々に飛来し、鈴の周りで爆発する。
鈴は素早く懐から符を取り出し、自らの周囲へとそれを放つ。
符は鈴をグルリと囲む形で虚空に制止する。
両手で複雑な印を組み、精神を集中させる。

「水壁の符…!」

符が光を放ち、水のヴェールがすっぽりと鈴を覆う。
襲い来る火球は、ことごとく水のヴェールに阻まれ、消滅する。

「う…く」

突然、鈴の体が火照り始める。足元がふらつき、膝をついてしまう。
だが、相手は休む暇を与えなかった。
今度は、水の弾丸が次々にヴェールへと殺到する。
火球のような対消滅を起こさず、ヴェールを突き抜け、鈴に襲い掛かる水弾。

「今度は水…!」

体が鉛のように重く、回避行動を起こせないと踏むと、鈴は新たな符を先程と同じように自らの周囲に巻く。
印を組み、精神を符へ集中させる。

「火壁の符!」

今度は炎の壁が鈴の周囲を多い、敵の水弾を蒸発させていく。
寒気が全身を襲うが、歯を食いしばって耐える。

「敵は…2人?」

新たな符を取り出しながら、疑問が口から出る鈴。
相手が何者であるかは不明だが、一個人にマイトの種類は1種類。
それはマイトの法則だった。
よって、火球と水弾を放ってきたことから、敵は複数だということが判断できる。

(まぁ、あたしみたいな特別な例もあるけどね)

符に精神を集中させ、片手で印を組む。

「水龍の符!!」

符を翳すと、そこから水の龍が飛び出した。
龍は先ほどマイトの気配を感じた方向へと、凄まじい勢いで迫った。
龍の進む方向に、微かに人影が見える。

「好き放題やって…ただで済むと思わないでよね!」

龍はその口を大きく開け、人影を飲み込もうとした。
だが。
人影に接触する寸前、龍は水滴を盛大に撒き散らし、霧散した。

「!?相殺された…!?」

恐らくは火のマイト使いだったのだろう。ほぼ同等の火のマイトに接触した水の龍は、対消滅を起こしたのだ。

「なら、これでどう!?」

更に符を取り出し、片手で印をきる。

「火龍の符!!」

同じ火のマイト同士ならば、単純に力の強いほうが押し切れる。

「いけええええ!!」

火龍は先程の人影に向かっていく。

「!!」

次の瞬間、鈴の中の何かが『危険だ』と警鐘を鳴らした。

(炎と…水の合成!?ヤバイ!)

人影の方から、炎と水の混ざり合う気配を感じ取る鈴。
いかに少量とはいえ、多属性との融合は強力な力を生み出す。
予想通り、火の龍は敵の放った気弾を受け、あっけなく消滅した。
そのまま気弾は、真っ直ぐに鈴に向かって迫る。

(かわせない…!でも、あれを相殺するには…!)

瞬間、拳火と水衣の顔が、頭をよぎった。

(あーもう!!なるようになれ!!)

観念すると、符を2枚取り出し、空へと放り投げる。
両手で印を組み、符に2種のマイトを集中していく。

「紫龍の符!!」

符から赤と青の龍が飛び出し、螺旋を描きながら徐々に徐々にその体を重ねていく。
やがて紫色の龍になったそれは、迫り来る気弾とぶつかり合い、大爆発を起こした。

「きゃあああああああああああああああああ!!」

爆風に耐え切れず、鈴は吹き飛ばされる。

「う…っく」

上体を起こし、起き上がる鈴。
爆煙が収まりきらぬうちに、人影は枝から枝へと飛び、目にも留まらぬ速さで鈴の目の前へと降り立った。

「に、にんじゃ!?」

目の前に降り立った人影は、忍装束を纏った少女だった。


チュッ


鈴は顎を引き寄せられ、そのまま口づけされてしまう。


コクリ


「!?」

そして口移しで何かを飲まされ、そのまま飲み下してしまった。

「ふぅ」
「な、なななな、なんなのあんたはッッ!!今何したッッ!!」

赤面しながら、目の前の忍装束の少女に怒鳴り散らす鈴。

「あら、あなたのマイトの暴走を静めてあげたんじゃない。まだ、つらい?」
「え!あ!?」

少女に言われ、体の状態をチェックする。
すると、どうしたことか、火照りや寒気が嘘のように収まっている。

「な、なんで…?!」
「適度なマイトの発散と、修行は欠かさず行いなさい。さもないと…自壊するわよ」
「そ、そんなこと言われなくてもわかってるわよ!!」
「そう?それならいいのだけど…」

少女はクスクスと笑う。嘘がバレバレである。
強がったものの、先程の苦しみが、マイトの暴走によるものだと、今初めて知った。
一連の少女の攻撃は、少しずつマイトを発散させ、更には最後の符術によって、マイトの互いへの干渉を、極力抑えるためのものだったらしい。

「あなた…なんで私を?」

助けてくれたの?とは口にしなかった。なんとなく、悔しかったからだ。
少女はニッコリと優しく微笑むだけ。やっぱりなんとなく悔しい。

(あれ…?)

突然、強烈な眠気が鈴を襲った。

(さっき、飲まされた…?)

膝を折り、倒れる鈴を、少女は抱きとめる。

「火と水…対を成す属性を内包する、少女…か」

少女は、鈴をそのまま優しく地面へと横たえる。

「暴れまわる力を制御するための符術というわけか。…まだ、コントロールしきれてないのね」

鈴の中に存在する火と水のマイトが、お互いに干渉し、鈴の体の中で暴走していたのだ。
それが原因で、高熱を発したり、突然冷気に覆われたりしていたらしい。
恐らく、鈴に符術を教えた人物はそれを知っていたのだろう。
それゆえ、符術を学ばせ、それによるマイトのコントロールをさせていたのだ。
本人にそうとは教えていなかったようだが。

(それにしても…)

本来ならば、ありえない体質。

「私と同じ…いえ、少し違うわね」

自嘲気味な笑みを浮かべる少女。

(それにしても、よくよくありえない体質に縁があるわ)

この、人外の耳と尻尾を有する少女。自分。その身にマイトを持たないエリス=ベル。
そして…

「!」

森の中に進入してくる何者かの気配を感じ、少女は跳躍し、枝から枝へと飛び移り、その場を後にした。

「…!居た!!」

草を掻き分け、鈴に駆け寄ったのは、陸丸だった。
倒れ付している鈴の上体を起こし、唇の傍に掌を当てる。

「くー…すー」

健やかに眠っているらしい。
安心し、大きく息を吐き出した。

「全く…!なんで具合悪いのにこんなところまで勝手に来るんだ…!」
「何であんたに断んなきゃいけないのら」
「!」

起きたのかと思ったが、鈴は寝息を立てたままだ。

「寝言でも口の減らない…」

呆れて物も言えない。
抱き抱え、そのまま家に戻ろうとした陸丸だったが。


きゅっ


「ぐえっ!」

首と腰を、それぞれ手と足で抱きしめられ、身動きが取れなくなってしまった。

「ちょ、鈴!離れろって!オイ!」

どれだけ力を込めても、鈴の手と足は離れなかった。

「おーい…」

試しに呼びかけて見たが、やはり鈴は起きる気配がなかった。
ふと空を見上げる。
木々の合間から見える青空は、とても綺麗だった。

「…」

鈴から伝わってくる暖かな体温を感じる。
気付くと、心地よい眠気が体を支配していた。






「ねぇ〜、2人ともぉ〜、いた〜?」

突然いなくなってしまった2人を、エリク、リィスの2人で捜索していた。
そこは彼らのこと。マイトを辿って彼等を直ぐに発見できた…が。

「もう、大丈夫みたいですね」

人差し指に手を当て、視線を巡らせる。

「?」

エリクの視線の先には、仲良く寄り添って寝ている陸丸と鈴がいた。

「あらあらまぁ〜v」
「気になっていたマイトの乱れもなくなっているし…このまま家にそっと連れ帰りましょう♪」
「そうね〜」

リィスが腕を一振りすると、陸丸と鈴の体が風の玉に覆われ、ふわりと浮かび上がる。
そのままエリクの後をゆっくりと歩き始めるリィス。
その後ろを、陸丸と鈴を包んだ風の塊が続く。

「…ふぅん」

ぴたり、とエリクがその動きを止める。

「?どうしたの〜?」

首をかしげるリィスの頭に手を軽く乗せ、微笑むエリク。

「いや、先に帰っていてくれ。直ぐに追いつくから」
「??わかったわ〜?」

頭の上にハテナマークを躍らせながらも、風の玉とともに御剣邸に向かって歩くリィス。
エリクはリィスが見えなくなるまで見送ると、白衣を翻し、振り返る。


ギンッ!!


瞬間、エリクの瞳が赤く光る。周囲から鳥が逃げ、木々がざわめいた。

「…ごめんね、騒がせちゃって」

苦笑しつつ、マイトを抑える。
淡く輝いていた髪が元に戻り、瞳の色も青に戻る。

「大したもんだね、これだけマイトをあてても動じないなんて」

踵を返し、リィスの後を追うエリク。

「だけどね、これだけ周りが騒いでいるのに、君だけ動じないのは、逆に不自然だよ」

クスクスと笑いながら、森を後にするエリク。
それを見送り、1人、枝の上で腰を下ろす、先程の少女。

「ふぅ…危なかったぁ。確かにまともにぶつかったらただじゃすまなかったかも?」

やれやれ、と軽く息を吐く。

「普通じゃないモノが集まる…あの子。私。エリス=ベル。そして…御剣志狼」

空を見上げ、足をプラプラさせる少女。

「なるほど、偶然ではない…コレは必然。勇者の名の元、普通ではないモノが集まる…」

やがてそれらの点は、1つの線となり、大きなうねりになっていく。

「世界が大きく動き始める」

ニヤリと歪む、少女の顔。
楽しみだ。カイン様が、どう動かれるかが。
気になる所があるとすれば。

「…」

あの、2人の少年少女だった。

「獣虎陸丸…そして、鈴」

俯き、頭を振る。

「…関係ない。全てはカイン様のために…」

そして、少女は陰に溶けていった。
後には、静寂のみが取り残されていた。