人間の生命――マイトを喰らい、成長する、『魔剣』。
一連の事件は、裏で強大なる異界の住人…妖魔が絡んでいた。
幾多の力ある剣を喰らい、その力を増大させる『剣を喰らう剣』、邪剣ソードイーター。
妖魔はその贄となる魔剣を散布、回収するために、大量の魔剣を人間界に放ったのだ。
一部の人間のみが密かに語り継ぐ『魔の再来』と呼ばれる数週間、魔剣の刈り取りと人類の大量虐殺が開始された。
誰もが絶望したその時、忽然と5人の若者達が現れ、妖魔を撃退していった。
邪剣と対を成す神剣、『轟雷剣』。その使い手である御剣剣十郎は、邪剣の使い手…剣魔王バサラとの一騎打ちに辛くも勝利。
妖魔は撤退し、一連の事件は一応の終結を見た。
代償として、瀕死の重傷を負った剣十郎は、闇夜美月の出身地である聖域、神剣の里に運びこまれ、昏々と死んだ様に眠り続けた。





そして…剣魔王バサラとの熾烈極まる死闘から数日後。
剣十郎は昨日になってようやく目を覚ました。
今は用意された着物に袖を通し、初老の男――里の長と向かい合って座っていた。

「では、神剣を返却するつもりはない、と」
「はい」

里の長の質問に剣十郎は、はっきりとそう答えた。

「轟雷剣は既に己の一部…この身が汚果てるその時まで、手放すつもりはありません」
「…」

既に運びこまれてきた時の、死相すら浮かんでいた表情は、欠片も存在しない。
はっきりとした意識、態度で、彼は意見していた。
人外の王を打ち倒したその強大な力をもってすれば、剣を強奪することも容易いだろうに、
剣十郎はそれをせず、あくまでも許可を貰った上で持ち出そうとしていた。

「構わぬよ」
「!本当ですか」

神剣といえば、対妖魔用の決戦兵器であり、
国宝どころか、星宝級、あるいは人類の宝と言い換えても、過言ではない。
無茶を承知で頼んだのだが、意外にもあっさり許可が降り、剣十郎は驚いた。

「結局、この轟雷剣を抜く事が出来るのは、世界広しと言えど人類でただ一人…君しかいない。
 それに…」
「?」

とんとん。


「はい」

続けようとした長を遮って、控えめに襖を叩く音が聞こえる。

「お茶が入りました」
「ありがとう。持ってきておくれ」
「はい」

襖を開けて、一礼。
部屋に入って来たのは美月だった。
視線が合い、にっこりと微笑む美月に、剣十郎は一瞬胸が高鳴った。

「ああ、剣十郎君、続きなんだがね」
「あ、はい」

剣十郎は、慌てて長に向き直る。

「神剣の所在に関してなんだが、君に所持していてもらった方が、こちらとしても都合がいいのだよ」
「…と、言いますと?」

自分が所持していた方が都合がいい?
真意が分からずに首を捻る剣十郎。
美月も僅かに、怪訝な表情をしている。
後世のために、てっきり封印処置でもされるのかと思っていたのだ。

「実はだね。神剣の管理をすべき巫子が、神剣と同じ場所に居たいと言っているのだよ」
「「は?」」

剣十郎は更に首を捻り、美月は目を見開いた。
神剣の管理を使命としているのは、誰でもない、美月の事だ。
神剣と共に在りたいのか、はたまた…。

「真意は察してくれたまえ」
「お、お父様!!何を言い出すのですか!!」

ガシャン!と強く床にお茶の乗った盆を叩きつける美月。
普段は、大和撫子を絵に描いたような美月が無作法をするなど、本当に珍しい出来事だった。

「は、いえ、その…」
「はっはっはっは」

里の長とは、誰であろう、美月の実の父親だった。
美月も剣十郎も、顔を真っ赤にして俯いた。

「一目見て分かったさ。少し寂しいが、何、君ならば安心して娘をだね…」
「み、美月は既に、その…己の一部…でありまして。その、こ、この身が汚果てるその時まで、手放すつもりは…」

かぁぁぁ、と、見る見るうちに美月の顔が紅潮していく。

「はっはっは。剣十郎君、凄い汗だぞ。大丈夫か」
「は…問題ありません。体調は…その、万全です」

緊張の度合いでいえば、バサラとの決戦直前とは比べるべくも無く―
こちらの方がはるかに上だと、剣十郎は本気で考えていた。
こんな事を言えば、クロンには笑われ、エリクには『馬ァ鹿』と呆れられるに違いない。

「ん、そういえば…エリクやクロンたちはどうした?」

昨日気がついてから、彼らの姿が見えない。
旅は終わったわけだし、別れも当然かもしれないが、何かしら言葉を交わしたかった。
美月に尋ねるが、何故か彼女は苦笑い。

「ええっと…」
「寝ぼすけの面倒は妻に任せる、といって皆早々に出て行ってしまったよ」
「…」

長の言葉に頭を押さえる剣十郎。
あいつらめ。何とも仲間思いのイイヤツらだ。
いつか本気で斬り殺してやろうか。

「必ず助かる君に付いてるなんて時間の無駄だ、と。3人とも同じことを言っていたよ」
「リィスさんとクロンさんには夢がありますからね」

長も美月も微笑んで言った。
クロンは連邦の仕官になって、人間の役に立ちたいと言っていた。
妖魔の貴族のクセに、人間が好きになってしまったらしい。
リィスは医者になりたいと言っていた。
彼女が医療に携われば、多くの人々が救われるだろう。
願わくば、お酒を飲まない事を切に願うところではあるが。
エリクは…何をするつもりなのかは一度も聞いた事がなかったが、何をやっても上手く行くだろう。
口は悪いし、態度も悪いが、頭の回転と器用さは一級品だ。

(…)

そういえば、旅が終わってしまえば、自分は何をすればいいのだろうか。
改めて考えてみたら、取り立ててやりたい事など無い。
剣の無い生活など、死と隣り合わせの人生を送ってきた自分には考えられない事だった。

「とりあえず、皆さんに会いに行ってみては如何でしょうか?」
「!」

表情に出ていたのだろうか。
美月の言葉は、自らの問いに対して、出るかどうかも分からない答えに近いものがあった。

「…」

にっこりと、美月は微笑んでいる。
いつもこうだ。
考えに煮詰まったりして、急に闇が自分を包み込み、目の前の道すら見えずに立ち止まってしまう時に、
彼女はいつも変わらずに微笑み、直ぐ傍で寄り添ってくれている。

(そうだ)

クロン、リィスに夢があるように、自分には美月がいてくれる。
彼女がいれば、どこで何をしていても、自分は立ち止まらずに、前に歩き続ける事が出来る。

「よし」

それでいい。
とりあえず、歩き続けていれば、景色は変わる。
そこで、自分が何をなすべきなのか。何をしたいのかが見える。分かるはずだ。
歩き続ける。
美月と、共に。

「行くとするか」
「はい」

決意と共に立ち上がる剣十郎。


ふわっ


「…?」

そんな剣十郎の手元に突然、紙飛行機がひらひらと落ちてくる。

「これは…」

紙飛行機には、小さく『E・B』と書かれている。

「エリクさんのマイトですね」

紙飛行機から感じる風のマイトは、間違いなくエリクの物だ。

「聖域の結界を通って剣十郎君のマイトを伝ってきたのか…大した術者のようだね、エリク君は」

口が悪くて態度も悪いが、マイトを扱う技術も一級品だ。
失われた古代魔術を複合して使っているという話だから、やはり彼は、天才と呼ぶにふさわしい。

「…?」

だが、この紙飛行機が何を意味するのかが分からない。
試しに紙飛行機を解いて、紙の状態に戻す。
すると、そこに文字が書かれていた。

『手伝え。

 集合場所…俺様の家。

 持参品……各自の武器。顔を隠せるもの。(仮面、グラサン等。説明させんな)

 日時………1秒以内(遅れたら、俺様判決即死刑)』

相変わらず、ふてぶてしいにも程がある。
剣十郎から手紙を受け取り、苦笑いする美月。実にエリクらしい文面だ。
何を手伝えばいいのかさっぱり分からない上に、武器持参とは穏やかではない。

「どうします…?」

苦笑いして剣十郎に尋ねる美月。
場所は分かっている。
住所を書いていないところを見ると、長い事空けていたが、
恐らくはエリクが一人暮らししていた頃使っていた自宅は残っているのだろう。
後は、剣十郎の意思次第、といったところだが。

「…丁度いいだろう。まずはエリクの所だ」

指の関節をバキボキと鳴らし、剣十郎は頬をヒク付かせた。


そして、これから…


それから数日後。
エリクの自宅に集まった剣十郎、美月、そしてクロンの四人は、再会の喜びに浸る…
間もなかった。

「あのクソジジイ…俺がどんだけ頼んでも、『娘はやれない』とか吐かしやがった」
「「「…」」」

何だかよく分からないが、延々とエリクの愚痴を聞くはめになったのである。

「この俺が、どれだけ頼んだと思ってやがる…ッ!!!」
「少なくとも、人に物を頼む態度ではないな」
「俺『様』じゃないだけ、かなりの進歩だと僕は思うけど」
「…」

男連中のやり取りに一人、美月は苦笑いするしかなかった。

「でもまぁ、うん。何が起きたのか、想像は出来て来たかな」
「こういうのはエリクの仕事だったのだがな」

情報整理などは、主にエリクの担当だったのだが、当の本人があれでは、文字通り話にもならない。

「つまり…、リィスに求婚したはいいけれど、父親が許してくれない、と」
「そうだ!」

クロンの指摘に、エリクは強く深く頷いた。
なんというか、数日前の自分達とはえらい違いだな、と、
剣十郎と美月は顔を見合わせて、何とも複雑そうに笑った。

「だからもういっそ、かっさらって駆け落ちしようって思ってよぉぉ…!」
「「「…はい?」」」

美月は唖然とし、剣十郎は頭を抱える。

「あのねぇ…連邦の士官を目指す僕に、人拐いをたのむわけ?」
「だから、顔を隠すモン持ってこいっつったろうが」

クロンは苦笑いしながら尋ねる。
固有マイトを識別されたらモロバレだと思うのだが。
それ以前に、ここにいる人間は、武器に特徴がありすぎる。
剣十郎の持つ、神が鍛えたと言われる破邪の剣『神剣・轟雷剣』。
クロンの持つ、属性変化の力を持つ双剣『魔聖剣・クロスジャッジメント』。
美月の持つ、神剣と同じく破邪の力を持つ扇『神器・雷扇』。
ばれない方が異常と言える。

「…作戦は?」

呆れ口調で剣十郎が聞いてみる。
五人の中で、彼は言わば作戦参謀の役割を演じていた。
彼の采配で、剣十郎たちは絶望的な状況を、何度もくぐり抜けてきたのだ。
人一人拐おうというのだ。
余程の準備と、綿密な計画があるに違いない。
…と、思っていたのだが。

「まず、剣十郎が門を破壊。混乱に乗じて潜入。美月さんの決界で迎撃システムを無効化…」
「それは…」

作戦などと言うお上品なものではなく、正面突破で堂々と、という。
剣十郎が最も得意とする戦法ではあるのだが、人一人さらうには大雑把と言わざるを得ない。
タバコに火を付け、エリクはイライラと不快感を隠さずに窓を開け放つ。

「おいエリク」
「よしな剣十郎」

もの申そうとした剣十郎を、クロンが小声で制した。

「何故止める」
「今は何を言っても無〜駄。突撃ラブハートってやつ?」
「私も同意見です。剣十郎さん」
「む…」

美月にまで制止され、剣十郎はおし黙る。

「…エリクさんの、リィスちゃんに対する愛情を考えてみれば、当然の反応なのかも知れません」
「「…」」

旅の途中、彼等の全てを見てきた三人は改めてエリクを見る。
初めこそ、リィスの一方的な想いだったが、今は違う。
見た目こそ変わりないが、何時もより明らかに取り乱している。
それほどまでに思いつめている証拠なのだろう。


「まぁしかし、今日ばかりは剣十郎が立てた作戦の方がマシかも知れないねぇ」
「納得だが、釈然としないぞ」
「うふふ…!」
「美月まで…」
「あ、ごめんなさい、つい…」
「謝らなくていいんだよ美月さん。今のは笑うところだから」

律儀に謝る美月に、クロンは苦笑を洩らした。

「さて。で、どうする?」

クロンの問いかけに、エリクも耳を傾けて様子を伺っている。
流石に自覚しているのだろうか。
無茶で無謀な、お姫様奪還計画だと。
何時も傲慢で口が悪く、その上あの手紙だったのだが。
家に入ってからこれまで、この件に関しては強く協力要請をしない。
リィスの実家は、聞くところによれば、連邦にも相当な発言力を持つとされる財力と権力を有する大企業だという。
言わば、連邦を敵に回すかもしれない危ない橋を渡る行為に等しいとも言える。
乗るか反るか。

「勿論、力をお貸しします。私でよろしければ」
「無茶で無謀だが、無理ではなかろう」

考えるまでもない、とでも言うように。
剣十郎も美月も、即答した。

「仕方ない…逆アプローチで、連邦に力を売り込むとしましょうか」

二人がここまで言うならば、反対する理由もない。
やれやれ、とクロンは頭を掻いた。

「妖魔を相手に戦ったのだ。今更人間相手に憶するものかよ」
「お前ら…」

涙腺を弛ませるエリク。
仲間達は皆、任せておけ、と不敵な笑みすら浮かべている。

「クラウンホテル40階、最高級レストランのディナーフルコース」
「は?」

クロンの発言に、エリクが固まる。

「まさか、嫌とは言わないよねぇ?」
「な…!?」

不敵な笑みだとばかり思っていたそれは、見返りは分かっているんだろうな、の底意地悪い笑みだったらしい。


ズドン


「特上うな重二人前」

今回使うつもりで持ってきたのか、剣十郎が般若の面を被りながら、
肩が外れるかと思うほど強く肩を叩き、ぼそりと呟く。
エリクのこめかみを、タラリと汗が伝う。

「安いもんでしょう?世界最強の傭兵を三人も、一食分で雇えると思えば」

ニッコリと笑いながらクロンが言った。
確かに、その通りなのだが。
世界最強の強者達が、ここに四人も集っているのは間違いない。
だが、なんとなく納得できないものがあった。
釈然としないものを感じ、最後の砦とばかりに美月を見るエリク。
彼女なら、2人を諌めてくれるはずだ。
だが、美月はもじもじと顔を赤らめて、

「あの…旅先で食べた白玉あんみつをもう一度…」
「…」

信じていたのに。

美月の言葉に、ガックリと項垂れるエリクだった。

「リィスちゃんと、二人で…食べに行きたいのです」
「!」

その一言に、エリクはパッと顔を上げた。
ニッコリと笑っている美月が、小さく拳を握る。

「行きましょう。リィスちゃんのところへ」

剣十郎も、クロンも、今度こそ本当の不敵な笑みを浮かべて頷いている。

「…ああ!」

エリクは強く頷いて、煙草の火を風のマイトで吹き消した。





「どうした、リィス。食が進んでいないようだが」
「…」

食事に全く手を付けていない娘を見て、アルゴ=アトモスフィアは食を止めた。

「…」

だがリィスは返事を返さずに、うつむいたままだった。

「…あの小僧のことか?」
「…!」

僅かに反応し、顔を上げるリィス。

「お父様〜…何故エリクさんを〜、認めて下さらないの〜?」
「…」

アルゴは答えずにワインを一口含む。
むぅ、と頬を膨らませると、リィスは異常に遠く離れた席に座る父に一枚の小切手を渡した。

「これは何だ?」

書かれている額が、記憶にある彼女のお小遣いと同額だ。

「次に〜、エリクさんが〜、どういう行動を取るかなんて〜お父様にも〜、分かっているでしょう〜?
 これは〜、修理費用と〜、治療費よ〜」
「どれだけ大暴れするつもりなのかね」

書かれている額は、屋敷の使用人が全員、
一生遊んで暮らせる程の額だ。
直後。
爆音と共に、地面が僅かに揺れたのを、アルゴとリィスは感じていた。






ズドォォオオオンッ!!!!


轟音と共に、屋敷の巨大な門が空高く舞い上がった。

「さて、リハビリの時間だ」

拳をプラプラと振りながら、般若が呟いた。
バサラ戦以降、初めての実戦だ。

「手加減を忘れていなければいいが」
「さらっとオッソロしい事言うな!くれぐれも言っとくが、殺すなよ!剣十郎!!」
「分かっている」

ピエロの仮面を被った少年が、双剣を抜き放ちながら般若に釘を刺した。
全員が仮面をつけた異様な四人が広大な敷地に足を踏み入れたとほぼ同時に、
緊急警戒態勢を知らせるサイレンがけたたましく鳴り響き、上空をレーザーライトが照らし始める。
同時に、白い狐の仮面を被った巫女が一団から飛び出し、袖から畳まれた扇を取り出す。


とん、とん、とん


後ろ足で、三度ステップを踏み、扇を広げる。

「起きて、『雷扇』」

扇を振るうと、紫電を放ちながら、その全長が身長とほぼ同等に巨大化する。

「破ッ!!」

扇を再び振るう巫女。
同時に、殺到した迎撃システムのレーザーが弧を描いて弾かれる。
続いて扇を畳み、振りかぶると、それを地面に叩きつける。

「疾ッ!!」


バシィッ!!!!


瞬間、時面を黒い雷が走り、迎撃システム、監視カメラを軒並み破壊する。

「…ごめんなさい」

狐の巫女の呟きは、果たして住人に届いただろうか。

「美月さん。いちいち誤っていたら、きりがないよ」
「でも…」
「まぁ、気持ちは分かるけれどね」

迎撃に現れた数人の黒服達は、懐から銃を取り出し構えた。

「止まれ!」
「貴様ら、ここがどこで、何をしているのか…」
「理解しているよ」
「な!?」

瞬きをするその一瞬で、クロンは黒服達の背後に立っていた。

「ごめんね。通らせてもらうよ」

次の瞬間、黒服達の持っていた銃が、
残らず全てバラバラと分解し、地面に落ちる。

「ボン」


パチンッ


指を軽く弾くと同時に、銃の残骸が発火し、消滅した。

「ありきたりな忠告で恐縮だけれど。怪我したくなかったら逃げといた方がいいよ」
「ふ、ふざけるな!」
「かああああああッッ!!」


ギャズンッ!!


鼓膜を貫く轟音が、抗議の言葉を喰らい尽した。
同時に巨大な雷の塊が、真っ直ぐに屋敷に向かって突き進む。
障害物を蒸発させ、迎撃システムを粉砕し、黒服達が空を舞う。
屋敷から火の手が上がっているのは、気のせいだろうか。

「ね。これは純粋な善意から言ってるんだ。最悪、この場でじっとしてるといいよ」
「「…」」

言われるまでもなく、黒服達は顔面蒼白になり、動きを硬直させていた。

「と、言うか」

クロンは、地獄絵図の実行犯にツカツカと歩み寄り、
クロスジャッジメントの腹で思いっきり殴り倒した。

「舌の根が乾かない内に!殺す気かい!?」
「おかしいな…」

般若は自らの掌を見つめて、こめかみに汗を浮かべていた。

「ひょっとして、剣魔王を倒して、更に力が増してしまったのか?」
「リハビリ所の騒ではではありませんね」
「ミスター規格外め」
「面目ない」

呆れ顔でため息をつく二人に、正座して小さくなる剣十郎だった。

「…ん?」

剣十郎はふと、慣れ親しんだ気配を感じて轟雷剣の柄に手を添える。
黒服たちがが30人ほど近付いてくる。
問題なのはその数ではない。

「おいおい…冗談だろう…?」
「そんな、まさか」
「…魔剣か」

30人あまりの人間が手に持っているのは、多種多様の魔の種。
魔剣だった。

「バサラが回収し損ねた魔剣…あんなにあったのか」
「アレを全て喰われていたら、勝負の行方は分からなかったやもしれんな」
「…!!」

美月とクロンが身を硬くした。

使い手の命を吸い、力を高める魔剣。
剣を喰らい、力を増す邪剣ソードイーターの餌としてばら撒かれたソレは、
邪剣とは比べるべくも無い力の剣だが、使い手の身体能力を極限まで高め、
凶暴性を高める危険な代物に変わりはない。

「美月、封印解除だ。一気にけりをつける」
「え!?」
「一刻も早く、彼奴等を魔剣から解放しなければ、命に関わる」

屋敷の主の命令かは知らないが、魔剣を使い続ければ、いずれはマイトが枯渇し、死に至る。

「『開放』して、正気を保てるのか。病み上がりの身で」
「万一、俺が正気を失う事があれば…即刻斬れ」
「お、おい!?剣十郎!!」

クロンの問いかけに、剣十郎は即答して、轟雷剣を鞘から開放する。

「起きろ、『七聖・轟雷剣』」

剣十郎の言霊に、鞘から徐々に徐々に引き抜かれていく轟雷剣の剣先が、七又に分かれ、神々しい金色の光を放っていく。

「美月」
「は、はい!」

美月が、剣十郎の背中に手を当て、目を瞑る。

「『我、闇夜美月の名に於いて、今ここに雷神の戒めを解かん』」


ガシャッ!!ガシャガシャンッ!!


金属がぶつかり合うような音を立て、剣十郎の体から透明な鎖のようなものが一つ、また一つと外れていく。

「我流剣術、真極…『御剣之閃衣[みつるぎのひかりごろも]…発動ッ!!!」

次の瞬間。
眩い金色の光を撒き散らし、剣十郎は人ならざる者へと変貌を遂げた。

「…剣十郎?」

クロスジャッジメントを油断なく構えながら、恐る恐る剣十郎に声を掛けるクロン。
美月も、緊張の面持ちで距離を取る。
額とこめかみから突き出した角。
異常な程に長い爪。
極大化した筋肉。
金色に輝く頭髪。
溢れ出る、この世の邪悪の全てを滅っさんと滾る、神気を孕んだ雷のマイト。
そのマイトを受けて変貌した、着物――神衣。
これで正気を失っていれば、史上最悪の敵が誕生したことになる。
以前剣十郎は、あまりの強大なマイトの反動で正気を失い、仲間を全員殺しかけた事があった。
今の剣十郎の力は、当時の比ではない。
今回暴走するようであれば、被害はこの屋敷だけに留まらない…。

「うむ。問題ないな」
「…」

アッサリと言い放つ剣十郎に、クロンも美月も肩を落とし、盛大に溜め息をついた。
本来、あの状態であれば、声を発するだけでも、凄まじいプレッシャーを周囲に撒き散らす。
それがない、という事は、力の制御も出来ている、という証だ。
だが、先ほどの一件がある。念には念を入れる。
言うだけで大丈夫か、甚だ疑問ではあるが。

「今度こそ、加減を間違えるなよ、剣十郎」
「分かっている。要するに…」

次の瞬間、剣十郎の姿が掻き消える。

「剣を使わなければいい」

次に目の前に姿を現した剣十郎の片手の指の間には、半で折れた四本の魔剣の剣先が握られていた。
見ると、手前の黒服が四人倒れている。

「い、一体何が…」
「指の間で挟み込んで、そのまま折ったんだ」

何が起こったのかも把握出来なかった美月は、クロンの解説に愕然とした。
黒服達はただ単に、魔剣から解放された影響で倒れているだけだ。

「これならば問題あるまい」
「いや、割り箸じゃないんだからねぇ…」

通常、魔剣を破壊する方法は主に三つ。
神剣、もしくは聖剣で、対となるエネルギーを加えるか、
より強力な魔剣や邪剣で過負荷を掛けるか、
もしくはエリクのウィンドキャリバーの様に、強力なマイトを直接叩きつけて破壊するか、のいずれかになる。
マイトの通っていない通常兵器などでは、一切の傷を付ける事は出来ない。
指の間に挟み込んで、力任せに折るなど、普通では考えられない方法だった。
そのための雷鳴刃であり、
そのための雷墜牙であり、
そのための轟雷斬なのだから。
だが、

「我が身には、神剣の神気が宿っている。この程度、造作もない」

事も無げに、剣十郎はアッサリとそう言い切った。

「…」
「ま…まぁいいや。んじゃサッサと全部もぎ取っちゃえ」
「うむ」


バキキッ!


指の間接をバキボキと鳴らし、剣十郎は黒服達に向かって悠然と向かっていった。

「あ、お面蒸発しちゃったか」
「もうあまり関係無い気がします…」
「そうだね…」

人間と言うには、あまりに異形な今の剣十郎と、普段の彼がそう簡単に結び付かないだろうし、
むしろこんな悪夢のような状態、関わった人間からすれば直ぐにでも忘れてしまいたいに違いない。

「さて、誘動としては充分だろう」

本命――あのヤサグレ魔法使いは、果たしてお姫様に接触出来ただろうか。
クロンは屋敷を仰ぎ見た。






「…予想以上に凄まじいな。お前の友人達は」

モニターに報告されてくる被害報告に、オルゴは絶句していた。
予めリィスに渡されていた修繕費は、決して貰いすぎではなかった。
当のリィスはと言えば、無表情に窓の外を眺めている。


タッ


「行動力、人脈、度胸…大したものだな、小僧」

リィスの視線の先―窓の外のバルコニーに、ロングコートをはためかせ、白髪の魔術師が降り立った。

「…」

どうやってここまで、とは聞かない。
世界最高峰の風のマイト使いである彼にとって、風を操り、空を飛ぶなど造作もないことだ。

「おまけに、頭に血が上っているかと思えば、肝心な所で冴えている」

逆転の発想だ。
頭に血が上っている今、考えられる策が正面突破しかないのなら、
どうしたらその策で最高の効果を得られるかを考える。
簡単な理屈だ。
目立って目立って仕方なく、どうしても目が離せない連中を囮に、目標を奪取すればいい。

「だが、最後の最後でツメが甘いな」

オルゴの言葉が合図になっていたのか。
部屋に、複数の黒服が入ってくると、一斉に銃を構える。

「どうする?貴様が術を発動するよりも、こ奴らが発砲する方が速いぞ?」
「…」

観念したのか。
エリクは無表情で、眉一つ動かさずに佇んでいる。

(…?)

オルゴは胸に違和感を抱いた。

(あの小僧が、憎まれ口一つ叩かずに、つっ立っている…?)

さしもの奴も、危機感で大人しくなってしまったのだろうか。

(ありえん)

あの、エリク=ベルと言う男は、例え殺されそうな事態に陥っても、
憎まれ口を吐き続ける。そういう男だ。

「へっ、撃てるもんなら撃ってみやがれクソジジイ」

(そうだ、こんなふうに、…?)

今の声は、間違いなくエリクのものだ。
だが、声の発生元は、後ろ。

「馬鹿な…!」

この部屋の入口からだった。

「な、貴様!」

慌てて振り返る黒服達だったが、途中で動きを硬直させた。

「ウゼェから動くなテメェら」

(風の拘束か…!?)

体をピクリとも動かせない。
黒服達も、決して素人ではない。
むしろ、自分やリィスの身辺警護をさせるほどの精鋭たちばかりだ。
それが、為す術もなく動きを封じられている。

「訳が分からねぇ、ってツラだな。凡人ども」

ククク、と底意地の悪い笑い声を上げるエリク。

「幻影だよ、コイツは」


パチン


指を弾く音とともに、バルコニーに佇んでいたエリクは消えた。
同時に、窓の側で佇んでいたリィスも。

「!?」


カツカツ トテトテ

エリクの足音ともうひとつ、小さな足音が横を通り過ぎる。

「り、リィス!」

悠然と通り過ぎるエリクの傍らには、外出着を着込んだリィスがいた。
先ほどの無表情とは結びもつかない、喜々とした表情で。

「この女はトロくせぇからな…荷造りに時間が掛ると思ってよ。一芝居打ったって訳だ」
「失礼しちゃう〜!準備はもう終ってたもの〜!」
「最後まで枕持ってく〜だの馬鹿でかい人形持ってく〜だのって、 駄々こねてたのはどこのどいつだ」
「あう〜…!」
「答えろ!小僧…貴様、何をした?!何故リィスの幻影までがある!!」
「仕方ねぇな、ヒントをやろう。ありがたく思え」


パン!


エリクはおもむろに手を叩く。

「音が聞こえる原理ってなぁ、何だ?」
「空気の振動…」

空気!

「ご明察。風の結界で音を遮断して、随分前に侵入してたんだよ。俺は」

良くできましたと、こ馬鹿にしつつ、エリクは拍手した。

「まだだ」
「ああん?」
「まだ全てを聞いていない!リィスが幻影と刷り変わったのは何時だ!」

リィスとオルゴは、食後からエリク達の襲撃まで、ずっと一緒にいたのだ。
音をいくら遮断しても、気付かない筈がない。
先程の幻影といい、風のマイトで出来る事象の限界を越えているように感じる。
エリクはニヤリと笑いながら、バルコニーに立ち、優雅に一礼する。

「俺が…光を操る古代魔法が使えるとしたら?」
「な…!」

浮遊、幻影、不可視、消音。
少なくとも、四種の術を同時展開するなど、常人になせる技ではない。
本当に冷静さを欠いているのか、疑わしい。

「光で姿を消し、風で音を消し、あんたの目の前を歩いて…リィスを連れて部屋まで、って訳だ。
 なかなか冷えてんだろ、俺の頭。
 まぁ、凡人どもに比べて元々の基準値の桁が違うんだ。当然の結果だわな」
「…!!」
「ちなみに、俺は銃と撃ち合いしても負ける気しねェぜ?」

エリクに、お姫様抱っこされ、首に手を回すリィス。

「光の古代魔法…まさか貴様、白の…!?」
「アバヨ。娘さんは頂いて行くぜ」
「ま、待て!」


トン


ロングコートを翻し、エリクは軽やかに月の煌めく夜空を舞う。

「…」

その場の誰もが為す術もなく、それを見送っていた。





「!どうやら、ミッションクリア、の様だね」

頭上を通り過ぎる光を視界に捉え、クロンは双剣を鞘に収める。

「撤収しよう。丁度こっちも終わった所だし」
「うむ」


チョッキン


人差し指と中指で魔剣をはさみ込み、最後の魔剣を処理する剣十郎。

「美月」
「はい」

剣十郎の胸に手を当て、念じる。

「『我、闇夜美月の名において、乞い願う。雷神よ、再び眠りに付き、静まりたまえ』」


パキパキパキ…!ガシャン!


ガラスが破れたような音と共に、剣十郎の角や爪、神衣がひび割れ、粉々に砕け散る。
パラパラと金色の破片のようなものが全て落ちると、剣十郎の姿が元に戻る。

「さてと。お前達は先に行け」
「?剣十郎、君は?」
「やるべき事がある。先に脱出していろ。直ぐに後を追う」
「…分かりました」
「美月さん。いいのかい?」
「はい。先に撤収しましょうクロンさん」
「了解したよ。んじゃ、お先に。剣十郎」
「ああ」

頷くと、剣十郎は屋敷に向かって駆け出した。

「本当は付いて行きたかったんでしょう?」

クロンの問いに、門に向かって走りながら、美月はコックリと頷いた。

「はい…しかし、脱出の際に単独で電光石火を使用すれば、難なく屋敷を出られるでしょう」
「まぁ確かにそうだね。今更剣十郎が、誰かに遅れを取るとも思えないし」
「それに、何をしに行ったのか、目的も容易に想像がつきます」
「流石。で、剣十郎は何しに?」
「屋敷の主…リィスちゃんのお父様に、聞きたいことがあるのですよ」
「…魔剣のことか」
「恐らくは」

黒服達が使用していたあの魔剣は、どこから持ち込んだ物なのか。出処をはっきりとさせ、
もしも製造しているようならば、『相応のお仕置き』をせねばなるまい。

「リィスちゃんのお父様に対して、私たちがこれ以上刃を向けることのないよう…気を使ってくれたのでしょう」

仲間の親だ。流石に命までは奪わないだろうが。
力を封印したことからも、それは明らかだ。

「神剣士の使命と、情の板挟み…か」

なるほど。美月が付いて行きたかった気持もよく分かる。
だが、彼女は良くも悪くも、剣十郎の言葉に忠実だった。
剣十郎の言葉に逆らう美月の姿など、少なくとも彼等と知り合ってから一度として見たことがない。
苦笑いを貼り付けながら、クロンは溜め息をついた。

「ねぇ、美月さん」
「はい?」
「今後、剣十郎と一緒になりたいなら、神剣士と巫女って立場から、一歩踏み込まなきゃ駄目だよ」
「な…あ?」

美月は明らかな動揺を表情に出すと、不意に袴の裾を踏み付ける。


ツン、ツン、ツン、ドベッ


片足立ちで数歩進み、堪えきれずに倒れた。

「うわ〜、美月さんのドジ、初めて見たかも」

途端に、美月の顔が真っ赤に染まった。

「し、知りません!」

勢いよく立ち上がり、美月は目にも止まらぬ速さで走り去った。

「…電光石火顔敗けだねぇ」

あっという間に米粒大の大きさになった美月の背中を、クロンはクスクスと笑いながら追い掛けた。






剣十郎は屋敷の中に入り込むと、混乱して右往左往するメイドの一人に声を掛け、
主の元へと案内してもらった。
剣十郎を侵入者と知ってか知らずか、すんなり通された事に少し驚いたが、
剣十郎にとっては、どちらでも構わなかった。

「ありがとうございます」

最後に礼を言い、剣十郎はメイドを下がらせる。
これから起こる事に対して、無関係の無力な者を巻き込んではいけない。

「失礼」

扉を開け、部屋の中に入り込んだ剣十郎は、唖然とした。
その目に飛び込んで来たのは、窓に向かって銃を構えたまま固まる黒服達と、
同じく窓に向いたまま動かない初老の男性が一人だった。恐らくは彼がオルゴ=アトモスフィアのはずだが。

「御剣…剣十郎君かね」
「如何にも。あなたが」
「私がオルゴ…リィスの父だ。必ず来ると思っていたよ」
「…」

悪意のような物を感じない。
それがオルゴに対する、剣十郎の感想だった。
魔剣に深く関わりを持つ人間は皆、大体が魔気に毒され、とてつもない不快感を周囲に撒き散らす。
オルゴからはそのような気配を感じない。

「顔も合わせずに申し訳ないが、なにぶん動けないものでね」
「…ふむ。エリクの拘束術に間違いなさそうだが」

ククッと、剣十郎は苦笑いしながら抜刀する。

「あの男が術を掛け違えるとは、余程緊張していたと見える」
「術の掛け違い?」

「自分はあまり術式には詳しくありませんが、少なくともこの拘束、 放っておけば一週間は解けません」
「い、一週間!?」

あの男が緊張していたなど、にわかに信じがたかったが、剣十郎が嘘をついているとは思えない。

「破ッ!」

マイトを収束し、轟雷剣を床に突き立てる。


パァンッ


何かが弾ける音が響き渡る。

「!動く」

同時にオルゴや黒服達がよろめき、硬直が解かれた。

「助かった。礼を言う」
「礼よりも聞きたいことがあります」

剣十郎は轟雷剣を鞘に納めずに言った。

「あの魔剣の出処を、教えて頂きたい」
「…やはりな」

振り返りながら、オルゴは剣十郎を見る。
その雰囲気だけで、彼が何を言わんとしているのかが、はっきりと分かる。


黒ならば、斬る。


殺気を隠そうともしない剣十郎に、黒服達は拘束を解除されたにも関わらず、再び動きを封じられる事になる。
仕事放棄とも取れるが、オルゴは納得していた。
賢明な判断だ。
下手な動きを見せれば、即斬られることだろう。
自分の一言に、この場の人間全ての命が掛っているのだ。
だが、そんな雰囲気の中、オルゴは憶することなく笑う。

「残念ながら、我々は製法を知らない」
「ならば、あれだけの量はどこから」
「集めた」

「…何のために」

僅かに轟雷剣が動く。

「破壊を頼まれたのだ。…リィスにな」
「!」

「だが、破壊には想像以上に多量のマイト、時間、労力を使う事が分かった。
 ゆえに、君に破壊して貰うために持たせた…と言うわけだ」
「下手をすれば最悪、屋敷の人間の命を全てを失うかも知れなかったというのに、
 何故そのような賭けのような真似を」
「侵入者の正体は分かっていたし、君の人となりを知るにも丁度良いと考えた。
 博打などよりも、余程勝算があったよ。最も、私は賭け事でも負けたことがないがね」
「…」

ただ無力に侵入を許していたかと思えば、どうやら試されていたらしい。
剣十郎は苦笑いしながら、轟雷剣を鞘に収めた。

「もう、いいのかね」
「はい」
「判断材料を知りたいね」
「いくつかありますが、決定的なのは、リィス殿の名が出た事です」
「…ほう」
「少なくとも、あなたはリィス殿の事に関して嘘はつかないでしょう。
 彼女に対して、嘘をついた事がないように」
「何故そう思う?」
「でなければ、あのような疑うことも知らぬ、純粋無垢な少女が育つはずがありません」
「…そうか」

剣十郎が殺気を収めたことで、黒服達が一斉に重い空気を吐き出した。
膝が踊っている者もいる。

「下がっていいぞ」
「…はっ」

オルゴは黒服達を下がらせると、剣十郎に向き直る。

「リィスは…迷惑を掛けなかったかね」
「とんでもありません。彼女に何度命を救われたか。彼女なしに、今ここに自分は居りません」
「そうか。ちなみに、道中アレに酒は…」
「…」

途端、剣十郎はこめかみに汗を浮かべ、視線を反らした。

「ああ、いい。理解した。それだけが気がかりだったが、命が無事で何よりだ」
「酒屋を一軒ダメにしましたが…」

苦笑する両者。

「…あの男は」
「!」
「あの男を、君はどう思うかね」

恐らくは、コレが本題だろう。
剣十郎から見て、エリク=ベルという人間はどういう人間なのか。

「兎角口が悪い」
「…」

オルゴは肩を落とす。

「他人を見下し、努力を嫌い、煙草を多量に吸い、酒を飲んでは酔ってもいないのに酔ったフリをする。
 寝起きの機嫌は最悪で、食生活は偏っている」
「…よく仲間にしたな」
「正直、自分でもそう思います」

良くもまぁスラスラと悪態がつけるものだ。
普段から相当溜まっていたのだろう。オルゴは同情を禁じえなかった。

「しかし」
「!」
「しかし、彼がいなければやはり、自分は今…ここに居ません」
「…ほう」
「我流剣術に行き詰っていた自分に助言を行い、奥義完成に導いてくれたのは、他ならぬ、彼です」
「…」
「行動の指針を示していたのも彼です。全体を見渡す広い視野を持ち、戦闘の際には並みならぬ指示能力発揮し、
 性格の全く違う5人の個性を、チームとして引っ張っていたのも。…剣しか知らぬ自分よりも器用です」
「…なるほどな」

満足したのか、オルゴは頷いた。

「邪剣を倒し、これから何を成すべきなのか…何も見えぬ自分よりも、彼は何をしても上手くやるでしょう」
「ふふ…世界最強の神剣士殿は、これより先をお悩みか」
「!」

不意に口にしてしまった悩みに、剣十郎は口を押さえる。

「君がすべき事は山のようにあるさ」
「…え?」

オルゴは左手の甲を下に向け、甲を右に向けた右手をクイクイ、3度動かした。

「君は、茶を飲んだ事はあるかね?」
「…いえ」

左掌を下に向け、右手に何かを持ったしぐさで、右手を静かに下ろす。

「花を生けたことは?」
「…ありません」
「絵を描いたことは?ピアノを弾いたことは?自転車に乗ったことは?遊園地で遊んだ事はあるかな?」
「…一度として」
「やったことがないから、君は出来ない。それは至極当然のことではないかね」
「あ…」
「天才と呼ばれる人間達も、初めてすることは拙い。分かるかね」
「…はい」
「君は十分剣に生きた。これからは、それ以外の事を一つ一つ経験し、知るといい」

そして、もう一つ。とオルゴは人差し指を立てる。

「魔剣はまだ、全てが滅んだわけではない」
「!」
「私が集めた魔剣も、ほんの一部だろう。君はそれらを全て破壊してはどうだろうか」
「…確かに」

それは、自分の使命だろう。

「剣以外を知ること。魔剣を全て根絶すること。…それから、愛する女性と共に居る事。闇夜…美月さんと言ったかな。彼女は」
「う」

剣十郎の顔が朱に染まる。
オルゴは、神剣士の初々しい反応に笑いをかみ殺しながら続ける。

「これから君は、それらに専念すればいい」
「…」
「無論、これもとるべき道の一つの例だ。自らの道を最終的に決定するのは、他ならぬ君だよ。剣十郎君」
「…はい。ありがとうございます」
「では、行きなさい。また魔剣を入手したら、どんな手段を使ってでも君に連絡しよう」
「お願いします」

一礼して、剣十郎は部屋を出て行く。

「剣十郎君」
「…?はい」

突然、呼び止められる剣十郎。

「コレを…あの男の頭が完全に冷えたと君が判断した時に渡して欲しい」

オルゴが差し出したものは、一通の手紙だった。

「…承知しました」

剣十郎はそれを大事に懐に仕舞うと、一礼して今度こそ部屋を後にした。






「それで?どうなったんです?」
「ん?」

志狼はソファに腰掛けながら、対面に座るエリクに質問した。

「その後、クロンを除いた4人で、剣十郎さんたちに付き合って数年旅を続けてね…」
「魔剣退治がひと段落してぇ〜、一緒に結婚式を挙げたのよね〜v」
「そうだったね♪」

当時を思い出したのか、エリクとリィスは遠くを見つめてうっとりしている。
横で一緒に話を聞いていたエリィはゲッソリとしている。
毎日毎日同じ光景を見せられていれば、確かに当然の反応かもしれない。

「それで家が隣同士だったりしたのか」

志狼は納得して頷いた。
年齢の離れた御剣夫婦と、ベル夫婦の子供が同い年だったのには、そういうわけがあったらしい。

「道中では〜妊○しないように〜しっかり避○を〜」
「ママ!ストップ!スト〜ップ!!」
「…」

そういう理由もあったのか。
聞きたくもなかった理由を聞かされて、志狼と、途中で静止したエリィは真っ赤になっていた。

「ま、そう言うわけ。君にしてみれば鬼に見えるかもしれないけれど、剣十郎さんも人並みに悩んでた時期があったんだよ」
「…」

俯く志狼に、エリクは苦笑いする。

「今日は遅くなっちゃったし、家でご飯を食べていきなよ」
「あ〜!それいい考えよパパ〜!」
「え、でも…」
「大丈夫!みぃちゃんもユマちゃんもいるし!おじ様飢え死にしないよ!」
「まぁ…あのオヤジはそう簡単に死なないけどな」

戸惑い遠慮する志狼に、エリィも一緒になって手を引いて誘う。

「普段エリィがお世話になってるみたいだし、たまにはこちらの誘いに乗ってくれないかな」
「わ、分かりました…お世話になります」
「じゃ、ご飯できるまで私の部屋に行こうよ!」
「え、お、おい…俺も手伝いを」
「いいからいいから♪」

エリィに手を引かれてリビングを出て行く志狼。

「じゃあ〜、私はご飯の支度を〜してくるわね〜♪」
「ああ、頼むねママ」

続いてリビングを出て行くリィスを見送り、エリクはまた苦笑いする。

「そっくりだな、剣十郎…お前と息子は」

剣に対して真剣に生きるあの姿は、若い頃の剣十郎にそっくりだった。

ふとエリクは立ち上がり、結婚を決意した瞬間に剣十郎に渡された手紙の中身を思い出した。

『エリク。 お前が実力と知識、そしてリィスへの愛を兼ね備えた人間である事は知っている。

 だが、それだけでは足りん。

 お前には、目標がない。

 金もある。伴侶も居る。だが、お前はそれだけでは何時か生き甲斐を失う。

 何でも出来るからこそ、お前は何に対しても情熱を持って生きることが出来ない。

 ゆえに私は、お前に指針を示そう。

 古代の遺跡調査と、技術の発掘を、お前に手伝ってもらいたい。

 世に、古代の技術と知識を広めるのに、お前の実力を遺憾なく発揮して欲しい。

 折を見て話そうと思っていたのだが、予想以上に行動力があって驚いた。

 だがそれでこそ、リィスの婿にふさわしいとも私は思う。

 連絡先を記しておこう。

 その気になったら連絡してくるがいい。                …オルゴ』

「親…か」

手紙を見た瞬間、エリクは剣十郎の前で、不覚にも涙を流してしまった。
そして、誓ったのだ。
生まれてくる子供にとって、理想の親であろうと。
言葉遣い、仕草、生き方。
子に何かを伝えられる人間であろうと。
果たして今の自分にそれが出来ているのか、甚だ疑問だが。

「それでも、歩き続けるしかないんだ」

歩き続ければ、景色は変わる。
志狼やエリィは、どのような未来を見るのだろうか。

(大丈夫)

自分や剣十郎にも、未来は拓けたのだ。
信じよう。
彼らの未来に、希望があることを。
エリクはリビングの扉を開け、自室に向かって歩き始めた。
階段先から響いてくる娘の楽しげな声に、笑みをこぼしながら。